日本遺産木曽路
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木曽を語る

夕暮れを待ちながら…

妻籠を愛する会 理事長 小林 俊彦さん

「あの頃、女子大生の気持ちになって考えてみたんだよ」
と話し出したのは、公益財団法人「妻籠を愛する会」理事長の小林俊彦さん。
御年八十八歳、少年のような悪戯っぽい微笑がその瞳に浮かんでいる。

「もう50年も前の話だが、南木曽の町議会で訴えたんだ。木曽ひのきが繁る林の遊歩道を若い女の子たちが歩いて旅をする。木の肌の感触を楽しみ、大樹の根元の苔についた露が光るのを見て喜ぶ…。これは女の子には絶対うけるぞ!」

熱を帯びた力説だったが、「少女趣味。そんなことで観光客が来るか。」と一蹴されたそうだ。観光開発といえばホテルを建てるか温泉を掘るかという「攻める観光」が主流だった時代だった。それでもなお小林さんと仲間たちは
「千三百年前の古道を調査して街道整備を 」
「山の景色が変わってしまうような木の伐採はするな 」
「古い石垣をブロック塀で直すなどとんでもない」…
〝古きを掘りおこし、整備し、守る〟を主眼にした宿場整備を唱え続けた。
「超」がつくほど保守的な観光計画。しかしそれゆえ当時としては画期的なものだった。けしてぶれることのない信念はやがて実を結び、日本で最初の「生きた宿場」に観光客が溢れることになっていく。

荒廃していく故郷をどうにかしたいと切実に願う妻籠の人達の想いがあったからこそ、今この宿場はある、と小林さん。しかし、「伝統的建造物群保存地区」で日々の暮らしを営むのだ。苦労も多かったに違いない。
「妻籠の衆は月に40回も50回も会議するって有名な話だに」
何かしら問題が起こるたびに皆で議論し解決してきた。そして…
「売らない、貸さない、壊さない」
後に日本各地の文化財保存地区がその活動の見本としていくことになる三原則を、妻籠宿を守る人々は、旗印として、毅然と今日まで掲げ続けてきた。

 

好きな風景はと尋ねた。
「一緒に行ってみるかい?」
江戸時代の宿場風情を色濃く漂わす寺下地区の町並みを歩きながら
「50年前、みんなに言ったんだ。『夕暮れ、宿場の家の二階の障子に灯りが点る。そしてその下を泊り客が歩いていく。今に見てろ、きっとそうなるって。ほんとにそうなるかいって皆が訊くから、ああ、ほんとになる!…ホラ吹くしかしかないわな」
そう言いながら笑って歩く宿場に陽はまだ高い。
50年前に吹いたホラは今まさに宿場の日常になった。ホラは予言だったのだ。
「世界遺産登録を求めたこともあったけどもよ、色々難しくて。今はこう思うんだ。
みんなでちゃんとこの場所を守っていけば、いつか向こうから「入ってくりょ」って言ってくるさ」
やはり少年のように微笑む米寿の男の〝ホラ話〟を愉しみながら、宿場の夕暮れを待っている。

 

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