「木曾のナァー なかのりさん 木曾のおんたけ ナンチャラホイ」と歌われる木曽節(きそぶし)の「なかのりさん」とは 檜(ひのき)を筏(いかだ)に組んで川を下る筏師(いかだし)のことだという。
木曽檜は、木曽谷の代名詞ともいえる産業である。
古来より神社仏閣建築に重宝された木曽檜木目が緻密で優良な木曽檜は、鎌倉時代に造られた木曽谷最古の神社である白山(はくさん)神社など、古来神社仏閣建築に重用され、約 330 年前から、伊勢神宮が 20 年に1度、お宮を新たに建て替える式年遷宮(しきねんせんぐう)の際に用いる御神木(ごしんぼく)としても使われ続けている。 江戸時代初期に訪れた木曽檜の危機この名木に危機が訪れたのは、江戸時代初期のことであった。戦国時代が終わり、安土・桃山時代以降、新たな町づくりが進められると、城郭・社寺建築の木材需要が急増し、全国的な森林乱伐(らんばつ)をもたらした。 | ||
![]() 木曽谷最古の神社、白山神社(大桑村) |
江戸中期の厳格な森林保護政策木曽谷を所管する尾張藩は、江戸時代初期から木曽檜などの伐木への制限に乗り出した。この制限は、江戸時代中期には木曽谷のほぼ全域に及び、「木一本首一つ 枝一本腕一つ」といわれたヒノキなど木曽五木(きそごぼく)を伐れば死罪という徹底した森林保護となり、木年貢も廃止された。この施策は、山林乱伐を防ぐ森林保護政策の先駆であったが、森林資源でくらしを立てていた木曽の領民にとっては厳しい経済統制となった。 |
![]() 美しい木目と耐久性が抜群の檜 |
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