ストーリー
「百草」は、三岳黒沢ロを開いた尾張の行者・覚明と、王滝口を開いた武蔵国の行者・普寛によって伝授されたといわれ、御嶽信仰の普及とともに、「御神薬」として行者たちによって全国の信者に配布されるようになったと伝えられる。
概要
御嶽山で採れるキハダの内皮(黄柏:オウバク)から抽出されたエキスが「百草」で、オウバクは苦味健胃薬で消化を助け、胃腸の調子を整えるとともに食べ過ぎ、飲みすぎ、胃のもたれ、食あたり、眼病、捻挫、打撲など様々な症状に用いられ、人々はこれを「百種類の薬草を使ったと同じくらいの効果がある」あるいは「百の病を治す万能薬」として貴び、「百草」と名付けたともいわれています。
現在では御嶽山に生息する数多くの薬草を調合し、さまざまな伝承薬が作られています。
観光ポイント
長野県製薬株式会社敷地内に百草元祖の碑があります。これは元は御嶽神社旧参道にあったものを移築したものです。
長野県製薬株式会社および日野製薬株式会社では製造工程の工場見学が可能です。
また、木曽郡内の各お土産店などで百草を販売しています。
現地レポート
長野県製薬株式会社の小谷宗司さん
長野県製薬株式会社
御岳百草丸薬制部
小谷宗司さんにお話しを伺いました。
「昔、百草の伝承は全て口伝だったんですよ。しかし記録は必要だと村人が計らい、どういう経緯で伝わってきたのかをしっかりと残すために作られたのが百草元祖の碑でなんです。」と話して頂きました。
百草が御嶽の麓で生まれたのは、木曽郡は薬草が豊富だったからなんです。昔は木曽で薬草を作って尾張藩に届けていたんです。とても多くの薬草があり、中国の漢方薬の原料も作っていたといいます。
御嶽の高山植物は神の薬と言われ 200年以上人々に愛されてきました。しかも200年間副作用の無い薬なんです。
昔の百草とはどんな形だったんですか?
小谷宗司さん
昔の百草は竹の皮に包まれていたそうです
実物を見せて頂きました。
このように昔は竹の皮に包まれていて固く、ガラスのようだったんです。必要に応じて割って飲んでいたんですね。
百草元祖の碑
碑の文字に書かれている内容の説明板です
百草元祖の碑へと案内して頂きました。
歴史があり、文字は少し見づらいですよね、こちらに内容が書かれています。
ここに小谷という名前がありますが私のご先祖様なんですよ。
驚きました!百草の伝承をしていた方々の子孫が目の前にいたのです。
百草は深い歴史があります。長野県製薬株式会社では様々な展示もしています。
百草本舗の額
百草元祖の碑の拓本
薬草展示コーナー
薬草の写真
百草元祖の碑は当時の村人が歴史を伝承しようと考え百草が生まれた経緯を刻みました。その歴史自体を大切にし、私達も伝えて行こうと思っています。
最後に小谷さんの秘密の部屋があるとの事で少しだけ見せて頂きました。
小谷さんの秘密の部屋
ここが私の秘密の部屋です。様々な薬草があり、今度は何を展示しようか考える部屋ですね。ここにいると落ち着きます(笑)
普段は見れないのですか?
どうしても見たい場合は声をかけてくださいね。
百草を継承する小谷さんのお話しが聞けました。
見どころ
長野県製薬株式会社では製造工程の工場見学が可能です。また、木曽郡内の各お土産店などで各社の百草丸を販売しています。
アクセス
最寄駅・インターから
JR木曽福島駅から
バス 約40分
中央自動車道伊那インターから
伊那インターから約60分
住所
長野県製薬株式会社
長野県木曽郡王滝村此の島100-1
TEL:0264-46-3003